NATSUKiのストーリー
アメリカのウェスタンコロラド大学に留学中の日本人大学サッカー選手
「周りの人たちの力に頼ることで、私はフィールド内外で毎日強くなっていきます。」

私の物語
こんにちは。大分県出身の学生アスリート、村上夏樹です。現在、アメリカのウェスタンコロラド大学でサッカーを勉強し、プレーしています。サッカーとの出会いは、6歳の時に兄の影響で始まりました。近くに女子チームがなかったので、幼少期は男子チームに混じって練習や試合をしていました。大変な時期でしたが、その経験が私の競争心とサッカーへの愛情を育むきっかけとなりました。
12歳の時、プロサッカークラブ「大分トリニータ」のユースアカデミーに入団しました。アカデミーは家から遠かったので、父は週に一度練習に参加するためだけに片道1時間かけて車で来てくれました。それ以外の日は、地元の男子チームでトレーニングを続けました。この経験を通して、献身、犠牲、そして家族のサポートの大切さを学びました。それは今でも私の指針となっています。
15歳の時、家から6時間離れた岡山県の作陽高校に入学しました。寮生活を送りながら、勉強と運動に励み、最終的には3年間ずっとクラスで1位を獲得しました。卒業後は関西大学に進学しましたが、すぐに世界を探求し、さらなる挑戦をし、様々な背景を持つ人々と出会いたいという強い思いを持つようになりました。
その夢が私をアメリカへと導き、ウェスタンコロラド大学に編入しました。それから2年間、体育を専攻し、K-12の体育教師になることを目指しています。サッカーと並行して、英語力の向上、Vlogの制作、そして学生としても人間としても成長することに尽力しています。これまでで最も幸せな瞬間は留学したことです。留学は私の人生を変え、これからの自分に自信を与えてくれました。

ピッチ以外では、コーヒーショップに行ったり、読書をしたり、自然の中で過ごしたり、そしてもちろん、チーズケーキや納豆などの美味しいものを食べるのが大好きです!笑顔と前向きな姿勢、そして困難に直面した時には周りの人に頼ることを大切にしています。トレーニング、勉強、新しい目標を追い求めている時も、子供の頃の夢、サッカーへの愛、そして自分の価値観を常に心に留めています。

アメリカに来た理由
私はかつて、日本でも有名な私立大学の一つ、関西大学に通っていました。良い友達に恵まれ、勉強もサッカーも順調で、正直言って生活はかなり快適でした。
でも、ある時、私は考えるようになりました。「これで本当に十分なのだろうか?」もっと自分を追い込み、新しい世界を見て、大学生活をサッカーだけで終わらせたくないと思ったのです。
それで2年前、私は関西大学を辞めてアメリカに来ることを決意しました
そんなリスクを冒すなんてどうかしている、と言う人もいました。でも、家族は私を信じてくれました。「本当にこれが君の望みなら、やってみろ」と言って、ずっと支えてくれました。
それ以来、私は想像もしなかった場所を見て、新しい文化を経験し、英語を学び、私の人生を本当に変えた人々に出会いました。
振り返ってみると、自分の直感を信じてよかったと思います。そして、ここに来てからずっと支えてくれた家族や皆さんに心から感謝しています。
私のコアバリュー
「笑顔は世界共通の言語です。」
これは私の好きな歌の一節ですが、私の信念を完璧に表現しています。私にとって、笑顔は最大の強みの一つです。
他の人のために何ができるか、目の前の人に何を提供できるかを考えるとき、まず頭に浮かぶのは笑顔です。笑顔はすぐに作れて、無料で、誰でも作ることができます。
英語が話せなかった時でも、笑顔を通して人々と繋がることができました。笑顔は人に安らぎ、温かさ、そして活力を与えることができます。
そのため、いつも深刻な顔や怒った顔をしている自分に気づくなら、笑顔を見せてみましょう。すべてが変わるかもしれません。
「退屈な人生よりも大きな失敗を選びなさい。」
これは、私がアメリカ行きを迷っていた時に母が言った言葉です。英語に自信がなく、海外への第一歩を踏み出せませんでした。でも、この言葉が私を後押ししてくれました。何の挑戦もなく平凡で退屈な人生を送るよりも、難しいことに挑戦して失敗するかもしれない方がましだという意味です。
「チャンスは前髪だけにある」
これは私が最も尊敬する教授の一人が言った言葉です。チャンスは誰にでも訪れるものではなく、準備のできた人にのみ訪れるという意味です。たとえ自分にできるかどうか自信がなくても、自分を信じて挑戦してみてください。チャンスが来たら、すぐに掴まなければなりません。一度逃してしまうと、二度と掴むことはできないからです。時には、思い切って飛び込むしかないのです。
「感謝の気持ちはいくら示してもしすぎることはありません。」
これも教授が教えてくれた言葉です。私はほとんど英語も話せない状態でアメリカに来て、教授、クラスメイト、そしてサッカーのチームメイトに支えられてきました。学業でもサッカーでも、私がここまで成功できたのは周りの人たちのおかげです。アメリカでは、周りの人たちの優しさに何度も救われ、心から感謝しています。この言葉は、たとえ過剰に思えても、感謝の気持ちを何度でも伝えることが大切、いや、むしろ大切だということを思い出させてくれます。
「いい人になるのではなく、サッカー選手になりなさい。」
2024年の夏、ニューヨークでセミプロとしてプレーしていた時、イタリア人のコーチからこう言われました。アメリカの選手たちのフィジカルの強さ、大胆さ、そして情熱に衝撃を受けました。私のプレースタイルを見て、コーチは「ピッチ上では優しいだけでは十分ではない。強い人間である必要がある。良い人間であるだけでなく、闘える真のサッカー選手でなければならない」と教えてくれました。それ以来、私はプレーするたびにこの言葉を心に留めています。この言葉が、私をサッカー選手として成長させ、レベルアップさせてくれました。
「誰もあなたのようにできなくなるまで、普通のことをやり続けなさい。」
これは日本のコーチがいつも言っていたことです。私は背が高くも速くもなかったのですが、ドリブルやジャグリングといった基本を徹底的に練習し、強い相手にも負けない選手になりました。
勉強にも同じアプローチを取りました。語彙の暗記や音読といった基礎的なことに重点を置き、誰よりも熱心に取り組みました。また、笑顔でいること、前向きな姿勢でいること、本を読むこと、健康的な食事、十分な睡眠をとることを習慣にしました。
私には特別な才能はないかもしれませんが、シンプルなことを心を込めて継続的に行うことで、大好きなスポーツをしながらアメリカで勉強するという夢を実現しました。